ASAKUSAはオランダ出身のローニン・デ・フーデが浅草の彫師の師匠、彫和氏の元で過ごした貴重な日々を視覚化した日記である。

「2011年にローニンが日本を訪れた時、有名な刺青師である初代彫和の門を叩き、会うことを切望していたが、彫和が末期の病気のため面会できなかった。その日、ローニンは父親の元で彫師の弟子として働いていた彫和若と一緒にパーティーに参加することとなり、初めて世界で最も有名な刺青のコレクションを見て、上位のヤクザに会った。

彼らが二回目に会ったのは2011年後半のヨーロッパだった。その間、初代彫和は亡くなり、息子は父親の名前を継いだ。彼は顧客の何人かと一緒にフランクフルトで開催された刺青の大会に参加し、その後グループの数人とアムステルダムに向かった。ローニンはほぼ全員ヨーロッパが初めての彼らのガイドになった。(...)

2016年、ローニンは日本に戻り、日本の伝統的な刺青芸術に関する出版物のために彫和の作品と、刺青を彫っている彫和を撮った。彫る現場を数多く観察していたローニンの礼儀正しい沈黙と集中力は見過ごされず、日常の仕事を手伝うように招かれたローニンはその後ついに彫和のそば近くで撮影することを許された。それ以来、ローニンは年に二、三回東京に戻り、彫和の顧客である中位のヤクザや舎弟頭、若衆などに頻繁に会うようになった。彫和の仕事場、顧客の肖像画、三社祭の様子、人生を楽しんでいるヤクザや彼らの家族との親密なショットなどを撮影し、二年前にはローニンは三社祭に参加する最大のヤクザ組織、浅草五代目高橋組の公式写真家になった。(...)

この写真集では、主題の明らかではない抽象的な写真群が、日常生活や自分の楽しみに勤しむ人々が登場する明快で物語的なイメージを対比的に際立たせる。ローニンのハイコントラストのモノクロ写真のスタイルは、1960年代から70年代にかけて日本で最初に日の目を見た「アレ、ブレ、ボケ」と呼ばれる技法で反審美的なジャンルの写真を開拓した雑誌『Provoke』を中心としたものを想起させる。(...)

モノクロの抽象的な写真は、現実そのものに対する見解をも表している。見る側は空白を埋めるよう招待されている。事実が少ないほど、想像できる空間が増える。一目で理解できる代替可能な使い捨てコンテンツがあふれている今日の文化とは対照的に、考えさせられるスタイルだ。」

― マーク・ポイスデンの文章より抜粋

Artist Profile

ローニン・デ・フーデ

RONIN(1978、オランダ)は、日常と儚さの両方から刺激を受けている。物事の微妙な違いを見極める能力は、彼に光と影、質感、形、表現に着目させ、ハーグの王立アカデミーでのグラフィックデザイン、ファインアート、絵画の研究に活かされている。彼が選んだカメラは、コダックTRI-X400が搭載された黒のライカMPであり、それは彼と友達が「大西洋の壁」と呼ばれる遺跡から拾い集めた戦争記念品のコレクションと交換に受け取ったものだった。「大西洋の壁」は1942年から1944年にかけて大陸ヨーロッパとスカンジナビアの海岸沿いにナチス・ドイツによって構築された海岸防衛線である。デジタル写真とその出力作業をせず、彼は独特の手焼きの銀塩プリントを、ハーグに近い森林に囲まれた暗室で作っている。木陰の下だろうと、強烈な日差しが浅草の路地に作る影の交差点の上だろうと、ローニンは下駄や着物、時には両方とも簡単に身につけている。

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